
3月11日
日本人にとってこの日は忘れられない日だろう。9年前のこの日のことを、私ももちろん今でもはっきりと覚えている。
まさか奇しくも同じ3月11日が、NBAファンとして忘れられない日になるとは思いもよらなかった。
こうしてNBAのブログを書きながら、3月11日という日付をタイプする度になんとも言えない気持ちになる。日本では既に3月12日になっていたので、日本でこのニュースを聞いた人にはピンとこないかもしれないが、私にとってはどちらも歴史的な日になった。
2020年3月11日:NBAが中断した日
それは、チェサピークエナジーアリーナで予定されていたサンダー対ジャズの試合が、ティップオフ直前で中止となった日であり、そしてNBAがシーズン中断を決断した日だ。
あの日もいつもと同じように試合は始まるはずだった。あの瞬間までいつもと同じように全ては進んでいた。少なくとも、そう見えていたのではないだろうか。
私もいつもと同じようにアリーナに行っていた。が、実はそこではいつもと違うことが少なからず起きていた。
チェサピークアリーナに入って私が目にしたのは、今までに見たことのない光景だった。
あの日に何が起きていたのか
私は2014年にOKCに移住してからこれまでの6シーズン、毎シーズン20〜30試合をアリーナで観ている。
アリーナ観戦をする日はほぼ毎回、試合開始90分前の開場時間にはアリーナに入り、サンダー側かビジターチーム側で選手の事前練習を見たり、選手と交流したりして過ごし、選手全員が改めて揃ってコートに出てくる頃には席に座って試合を待つのがルーティーンだ。
これまでにおそらく150試合を超える試合をチェサピークアリーナで観てきたその経験から、試合前にアリーナ内やコート上で繰り広げられること、アリーナのスタッフの対応、選手のファンへの対応など、大体の流れやパターンはおおよそ把握している。
その中でも特に、サンダーの選手のファンサービスの増減や対応の仕方の変化などは、シーズン毎の違いだけではなく、シーズン中のちょっとした変化にも気づくことが多い。
アリーナのスタッフやサンダーのスタッフの中にも、顔見知りになって会えば挨拶する人が増え、彼らの変化に気づいたりもする。
そんな私が初めて見る光景が、そこにはあった。
NBAが中断したあの日、OKCで何が起きていたのか。そしてチェサピークエナジーアリーナで何が起きていたのか。
シーズン中断というあの日の決断に至るまでのNBAの動きを振り返り、それに伴う変化について、そしてあの日に起きていたことについて、私が実際に見て、聞いて、感じたことを織り交ぜてながら書いてみたいと思う。
既にあれから10日以上が経ち、あの日の裏話がまとめられた記事も出ているが、今回はその中でも次の記事を参考にしている。
Jazz Center Rudy Gobert tests positive for coronavirus by Royce Young
Inside the NBA coronavirus shutdown: How a few tense hours changed everything by Ramona Shelburne
Microphone hijinks, backstage rumors and all hell brea king loose: The Utah Jazz’s surreal night in Oklahoma City by Andy Larsen
また、今回のNBAの中断までの大きな動きについて簡単に流れを掴みたい場合は、次の過去記事を参考に。
1週間前に見た変化の兆し
コロナウイルスの影響で私が最初に変化を感じたのは3月11日よりも一週間ほど前の、3月3日火曜日、ロサンゼルス・クリッパーズをホームに迎える日のこと。
『これからアリーナ観戦はどんどん変わっていくだろうな…』と思うことを、この日初めて経験することになる。
そのきっかけとなったのはNBAからの勧告だった。
3月2日、NBAがファンとの接触を制限するよう勧告
3月2日午後
NBAは『選手がファンとの接触の制限』として選手に次のように勧告を出した。
- ハイファイブの代わりにグータッチ
選手は通常、ロッカールームから出てくる時などに待っているファンとハイファイブをしたりするが、掌を触るのは危険なので、それは控えるように! - ファンにサインをする時はファンの持つペンやボール、ジャージを触るのを避ける
サインをする時はファンの用意したペンの使用は避けるように!ファンが用意したボールやジャージも極力触らないように!
簡単に言えば、ファンに直接触らない、もしくはファンが触った物に触らないようにということ。
ただ、あくまで勧告で、チームや選手が実際にどんな対応をするのかは不明。これは行ってみなければわからない。
それでもこんな勧告が出るのは、NBAがコロナウイルス感染拡大を懸念している証拠で、それを受けて選手の対応が一気に変わるかもしれないと、翌日の試合を前にちょっと嫌な予感がした。
3月3日、選手のファン対応に変化の兆し
3月3日のクリッパーズ戦に友達と行く予定になっていた私は、試合そのものも楽しみにしていたけれど、実際にチームや選手がどう対応するのかにも興味があった。
そこでアリーナではサンダー側で選手を待ち、ビジターチームの対応を確認するために彼らの滞在先ホテルでの出待ちにトライすることにした。
必要最小限のファン対応に徹したクリッパーズ
3月3日夕方、ホテル前
ファンサービスはしないことで有名なレナードはもちろんのこと、その日の朝は対応してくれたらしいポール・ジョージも、この時は完全に素通り。ほとんどの選手が見向きもせず、バスに乗り込んでいった。
そこに、元サンダーのパトパタさんことパトリック・パターソンが出てくるのが見えた。
彼はOKCにいた頃に、Pat Presentsという、ファンと一緒に映画を見るイベントを開催していて、話す機会が何度もあって顔見知りになったので、勇気を出し、声で気づくかなと期待も込めて、「Pat!」と呼びかけてみた。
フードを目深にかぶっていた彼が顔を上げ、「やあ!元気かい?」と答えてくれた。「うん、そっちは?」「元気だよ!」程度の挨拶はしたものの、彼も結局私達の方に歩み寄ることなく、バスの中へ…。
おそらく勧告がなければサインに応じてくれたであろう、この流れ。それでも対応がないということは、勧告を受けて選手が慎重になっていると想像が付いた。
そんな中でサインに応じてくれた、モントレズ・ハレルとルー・ウィリアムズの2人。
そしてこの時、いつもとは違うことが起きた。
彼らがファンの呼びかけに足を止め、こっちに向かって一歩足を踏み出した瞬間に、クリッパーズの警備スタッフがサッとペンを差し出して選手に渡したのだ。
普段は相手チームがペンを用意していることはない。出待ちしているファンが自分でペンを用意し、選手は差し出されているペンをその都度持ち替えてサインをする。
クリッパーズは、『ファンのペンを使わない』という勧告に従ってペンを用意し、サインをしてくれた選手はただ黙々と出されている物にサインをしていた。

これは私がこれまでに経験した出待ちの中でも最小限のファン対応だった。
出待ちの常連達に話を聞いても、いつもなら(チームや選手によるけれど)選手は意外とサインをしてくれるし、頼めば写真も撮ってくれるのに、この日はそもそも近くに来てくれる選手が少なく、今後もっと厳しくなるだろうというのが大方の予想。
正直なところ、こうなるのは当然かなとは思っていた。でもちょっと残念でもあった。
アリーナでのサンダーの対応を見る前に、ここで『兆し』みたいなものを感じて、微妙な気持ちでチェサピークアリーナに向かった。
色々と驚かされたサンダーの対応
3月3日午後5時半、チェサピークアリーナ
開場後、私はいつものようにサンダーのベンチ裏の通路脇のセクション118に向かった。一番前の列まで行き、顔馴染みのアリーナのスタッフにハグをしてから、そこでサンダーの選手の練習を見つつ、選手を待つ。
ここまではいつもと何も変わらない。
既にシェイ・ギルジャス・アレクサンダーはコートを去り、練習していたのはスティーブン・アダムスとアブドゥル・ネイダーで、この2人は普段通りなら、かなり丁寧にファンサービスをしてくれるはず。
一緒に来ていた友達がアダムスに近くで会ったことがなかったので、彼女が彼とツーショット写真を撮ることが私の中で大きなミッションでもあった。
アダムスが練習を終える頃には私達の周りにはたくさんのファンがいて、隣のセクションの1列目にも、通路の向こう側のセクションの前の方にも、アダムスを待つファンがあふれていた。
いつもと変わらない風景だった。
私が気になっていたのは、アダムスがどこまで対応をするのかということ。そもそも足を止めるのかもわからない。対応したとして、ファンのジャージやボールを持つなという勧告にどう対応するのか。写真には応じてくれるんだろうか…。
あれこれ思っていると、アダムスがいよいよコートから通路の方に歩いて来て、ファンが一斉に彼の名前を呼ぶ。いつものように、アリーナのスタッフが用意したペンを受け取る(サンダーの選手は普段からファンのペンではなく、用意されたペンを使用)。
そして、ファン一人ひとりに指差し確認をしながら、プリーズと言うまでサインをせず、それがわからず言わないファンは飛ばして…というルーティーンを繰り返す。

さらにはファンの要望に応えて、赤ちゃんを抱っこして写真を撮ったりもしている。

アダムスはその後も、ファンが持ってる物を受け取ってサインし、時にはファンのスマホを持ってセルフィーを撮り、無事に友達もサインをもらいツーショットを撮る。
これって全くいつもと変わらないんじゃない…?
そう、その全く変わらないアダムスの対応で、待っていたファンにはたくさんの笑顔がこぼれ、写真に写る時のアダムスの変顔に笑いが起こり、皆とっても嬉しそう。
それを見ながら私はホッとしたと同時に、それでホントに大丈夫なんだろうかと一瞬不安がよぎった。でもすぐにネイダーがやって来て、その不安はまた一瞬で消えていった。
ネイダーも全くいつもと変わらない様子で、私達の所に来るまでにたくさんのファンに笑顔で対応していた。
彼とは会う度にそこそこ会話をするようになっていたので、サインをもらいながら「もうハイファイブはしちゃダメなんだってね。」と私から声をかけてみた。すると「そうそう、グータッチじゃないとね。っていうか、ハイファイブは君もしないようがいいよ!」という答えが返ってきた。
やっぱりあの勧告はちゃんと選手に伝わっている。ただ、距離感は全くいつもと変わらないし、実際にこの会話をした時もネイダーと私との距離は1mもない。
さらに彼は、他のファンにしたように、写真を頼んだ私の友達のスマホを持ってセルフィーを撮影していた。
このアダムスとネイダーのいつもと変わらぬファンサービスに、ほとんどのファンはNBAからの勧告のことなどきっと忘れていたことだろう。
ところが、次に練習を終えたガロことダニーロ・ガリナーリの行動が、今世界で起きていることやNBAが出した勧告の意味を改めて私に思い出させることになる。
ガロは、余裕がある時は笑顔だし優しいのだけれど、練習に遅く出てくることもあって、サインも急ぎ目で写真は滅多に対応しないため、アリーナでのファン対応はちょっと愛想がないと取られがち。特に、アダムスとネイダーの対応でファンに期待が高まった後にガロが来るので、余計そういう印象になりやすい。
状況によってはサインもせずに去ることも珍しくないガロは、少なくともそういう時はファンにハイファイブで応えるのだけれど…
この日のガロは、ファンが差し出した手も避けながら、「コロナウイルスのことがあるからサインはできないよ〜」と言って去って行った。
このガロの対応に、ファンの間から大きなため息がこぼれ、中には露骨に不満そうな顔やジェスチャーをする人もいた。アダムスとネイダーが丁寧なファンサービスをしたせいもあるだろう。
ガロの取った行動の意味がわからなったファンは、NBAが出した勧告のことや、ガロの祖国イタリアの深刻な状況を知らなかったのかもしれない。イタリアにいるガロの家族や友達の状況を知っていれば、彼がファン対応をしなかったことに腹を立てることはなかっただろう。
そこにアメリカの混乱を見た気がした
私は、ガロがいつも以上に申し訳なさそうに、でもはっきりと「コロナウイルスのことがあるから」と言いながら走り去った時に、彼がどれだけ事態を深刻に受け止めているかをやっと理解した気がする。
クリッパーズの出待ちの様子から、選手とファンの距離が遠くなるだろうと想定してアリーナに来てみたら、アダムスとネイダーの変わらない対応にやや拍子抜けしてちょっと安心して、大丈夫なんだって思った矢先に、そんなことはないぞと現実を突きつけてきたガロの対応。
その都度、気持ちが混乱した。まだ大丈夫なのか、それともやっぱりもうまずいのか。どう考えればいいのかよくわからなかった。
多分、3月3日の時点ではアメリカ全体がそんな状態だったのではないかと思う。
私にとっては、NBAがどう動くのか、そして選手が実際にどう動くのかが一つの大きな指標だった。
試合前のファン対応以外は、いつもと同じように進行したこの日。
サンダーは、ポール・ジョージとカワイ・レナードの2人が揃ったクリッパーズを相手に苦戦して負けたものの、アリーナはそれでも盛り上がった。
そしてアリーナを出る頃には、選手の対応で感じた兆しや混乱した気持ちのことなど、私はもう既に忘れかけていた。
この日の私はまだ、アダムスとネイダーの対応に近い認識だったのだと思う。
まだそこまでやらなくても大丈夫だと思っていた。選手が対応してくれるなら、まだ大丈夫だと思っていた。
今考えると、そこになんの根拠もないのだけれど。