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こんばんは。
YOKOです。

私が帰国してくる少し前に、埼玉で竜巻が発生したと聞きました。最近では日本でも竜巻の発生が多くなってきているようで、ちょっと心配になります。

そこで今日は、あの日、子供9人を含む24人の死者と240人の負傷者を出した巨大竜巻の被災地、ムーアのその後を、私の経験とともにお伝えしようと思います。

 

現地時間2013年5月20日午後。オクラホマ州ムーアを、幅およそ2kmにも渡る、EF5というスケールの巨大竜巻が襲いました。

私はそのニュースを実家で耳にしました。OKCに向かう、約1週間前のことです。

オクラホマに竜巻が多いことは、留学時代からもちろんわかっていました。過去には、竜巻警報(サイレンのようなもの)も聞いたことがあります。

例の専門家、佐々木名誉教授から、「竜巻が来たら、バスタブに布団を持って逃げろ」というアドバイスをもらったのもその頃。でも、こんなひどい竜巻が発生するとは思ってもみませんでした。

 

TVから『オクラホマ』という地名が頻繁に聞こえてきました。地方紙の一面にも『オクラホマ』の文字。日常ではあり得ないことです。『サンダーが優勝したってここまでは放送されないだろうなあ』そんなことも考えました。

各局が毎日のように放送を続け、『オクラホマ』を連呼。こんな形でオクラホマが知られていくのは悲しかったけれど、それだけの大惨事なのだから仕方のないことです。

実際、本当にすごい竜巻でした。竜巻の映像や被害の写真を見た方も多いと思います。

2013年ムーア竜巻(Wikipediaより)

参考記事:米オクラホマの巨大竜巻は「最強クラス」by CNN.co.jp

 

その後、私は予定通りOKCに向かいました。そして、私がOKC入りして間もなく、再び竜巻がオクラホマを襲うことになります。

20日の竜巻に比べたら規模は小さかったけれど、それでも本当に怖い思いをしました。ネットやTVを通して見ているのとは全く違う、リアルな怖さを体験したのです。

 

それは、現地5月31日午後4時半頃のことでした。

天候が悪化して、また竜巻が発生するかもしれないという一報を聞いて、私はローカル番組にチャンネルを合わせ、竜巻警報をチェックし始めました。ちょうどその日は留守番をしていて、いざとなったら必要なものを持って、地下室に逃げるようにと言われていました。

竜巻がヒットしたら停電し、家もその周りも真っ暗になります。懐中電灯を持って、一人、暗い地下室で、ただただ竜巻が通り過ぎるのを待つしかないのです。(ちなみに私の滞在先にはたまたま地下室がありましたが、オクラホマは地下室がある家は少なく、そのために普通は竜巻用の地下シェルターを別途造ることが多いです。)

午後6時を過ぎた頃、TVではウェザーマンが、竜巻がOKCを通ると説明していました。発生した場所からまっすぐ、私のいる方向へと向かってくる形です。私は外の様子が気になって玄関を開け、そして空を見上げました。
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そこには、今までに見たことのない不気味な雲が広がっていました

その後、7時近くなると、外は既に暗くなり始めていました。この時期は夜9時まで明るいはずなのに。

これは本気でヤバい状況だということになり、急遽迎えが来て、私はOKCの北にあるエドモンド市へと避難することになりました。

車窓からは、竜巻が発生したOKCの西側の空から、真っ黒な雲が迫ってくるのが見えます。その不気味な雲から逃げるように、空の明るい北へと向かいました。

無事に避難できてからは、TVで様子を見ていましたが、避難先のエドモンドの空は明るいのに、TVに映るOKCの上空は深い闇のように真っ暗で、激しい稲妻の閃光と、ハイウェイで連なった車の赤いテールランプだけが映し出されているような状況でした。

もう、ただただ見守るしかありませんでした。祈るしかありませんでした。どうか皆無事でありますように。もう被害者が出ませんように。家が無事でありますように、と。

 

この日の竜巻は、20日のものとは比べものにならないと思います。それでも、竜巻が向かってくるときの恐ろしさは十分に味わいました。逃げるしかない、祈るしかない、あの恐怖。

20日にムーアで被害にあった人達は、どれほど怖い思いをしただろうか。あの小学校の子供達はどれほど怖かっただろうか。考えると今でも苦しくなるほどです。

6月後半になって、私はやっとムーアを訪れることができましたが、初めて被災地に立ち、言葉が出ませんでした。現状を伝えようとカメラを構えたけれど、ファインダーを覗くと、また手が止まってしまう。気持ちが落ち着くまでには時間がかかりました。
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壊れた家の瓦礫は徐々に撤去され、平地になり始めた住宅地。竜巻が直撃した場所とかすめた場所で被害の差がくっきりと出ています。

地元の人の話では、この辺りの住宅は持ち家ではなく賃貸が多いため、半壊した家などは自分では修理できなくて、そのまま家を離れる人が多いそうです。そのために、撤去や修理に時間がかかるケースもあるとか。

この時はまだ、めちゃくちゃになって、持ち主のわからない車が駐車場に並んでいました。
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また、あちこちに、アメリカ合衆国の国旗、サンダーの旗、メッセージが掲げられ、復興に向けて立ち上がろうとする、オクラホマの人々の強い気持ちが伝わってきました。
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それから1ヶ月後、再びムーアを訪れる機会がありました。その時には家屋の撤去はさらに進み、どこを竜巻が通ったのかがさらにはっきりわかるような状態になっていました。
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その更地の中に見つけたのは、ちゃんと残っているシェルター。
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これは大きさからして個人所有のものではなく、おそらく地域のものだと思われます。

そして、この日は、どうしても訪れたかったプラザタワーズ小学校の跡地へ。
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学校前にあったと思われる看板には5月20日の文字が残り、フェンスには各地からの励ましのTシャツが一面に掲げられています。
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竜巻被害の前と後の写真を改めて見て、ここまで全てを奪うものなのかと、胸が痛くなりました。
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そして、被災した子供たちのための、たくさんの、本当にたくさんのプレゼントの数々。

そのひとつひとつを見ながらゆっくり歩き、そして立ち止まり、ただただ祈りました。ここにどのくらいいたのか、はっきりと覚えていないのですが、ここにいる間、涙が止まることはありませんでした。

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